ちくわの穴

ちくわの穴に身を潜めながら特別語る相手もいない趣味についてやりたい放題したいブログ

『narcissu -SIDE 2nd-』 感想

 1よりも少し長めだったかな。でも短編には変わりないので一晩で終わらせてしまいました。

※ネタバレは殆どないと思いますけど一応。

  相変わらず世界観は何処か儚げながら美しく、前作同様楽しむことができました。とも氏が仰っていた通り、前作よりエンタメ性に欠けるという点は確かに認められますが、セツミ先生の過去話ということで、それだけでファンとして心が擽られずにはいられないのです。

■誰が為に

きっと人それぞれに回答があって、恐らくはその全てが正解なんだと思います。 

 人の行動は、例え「他者の為」のように見える行為であっても、結局は「自分」の為であると私は思っている。人に良かれと思ってやっていることでも、何処かに褒められたい自分、感謝されたい自分がいる。そういうものだと思う。勿論、科学的に証明されている訳ではないし、あくまで一個人の考えと思って頂きたい。人間は「自己中心性」から完全に抜け出すことが可能なのか。それとも既に抜け出しているのか。この問題については、一生かかっても答えが出るようなものではないと思う。

 只、同時に自分自身を形作っているものの一つには、必ず「他者」という要素が入り込んでいることも認めなければならないだろう。結局、人間は一人では生きていけなくて、誰かとの繋がりがなければ孤独死してしまう生き物なんだと思う。私がこのようにブログを書いている理由だって結局はこれに帰結すると思ってる。「繋がり」がないと孤独死してしまう人間は、時に「他者の為」に振る舞わなくてはならない時がある。他人との折り合い、人間関係というのは本当に厄介なものだが、それでも捨てる訳にはなかなかいかない。そんな面倒くさい世界に生きていながらも、その人に良かれと思ってする行為とは結局は「自分」の為であることを自覚することで、より客観的な視点に立つことができると思う。

泣きゲーではない!

読み手の皆さんを、観客にも登場人物にもしたくなかったとゆーか、只、そこに在るモノを眺めるだけの存在…神?にしたかったのかも。 

  過去に数々の泣きゲーと呼ばれるものをやってきましたが、これは所謂泣きゲーとして設計されてはいないなぁとプレイしながら漠然と感じていました。すると、案の定あとがきにもこんなコメントがあったという訳です。

なるほど神か。確かに、視点が入れ替わりながら物語が進むので自分が主人公になりきるという標準的な恋愛ゲームとは違うし、だからと言って完全な第三者である観客とは違うし、我々は神というポジションとみていいのですかね。

あと、某大手通販サイトさんの商品紹介で、「涙の感動の物語」というワードが使われていたのが何か印象的だった。あれですかね、論理哲学論考の某ラッセルさんが書いた解説文。これを読んだウィトゲ本人が「何か言いたいことと違う」とかなるのと同じ感じでしょうかね。

■最後に

 相変わらず訳の分からないことをずらずらと書き綴っていたような気がしますが、付き合って読んで下さった方がいましたらありがとうございます。もっと完結に感想を書けるようになりたいですね。