ちくわの穴

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『narcissu』 感想

 なんとも感想を書くのが難しいというか、私の貧弱な語彙力でこのゲームの素晴らしさ、美しさがきちんと伝わるのかどうか不安ではありますが、感想を書いていこうと思います。

 ※ネタバレを含みます(何故かラムネのネタバレも少しあったり)

 ■死について

 否が応でも「死」について今一度考えなければ気がすまなかった。当たり前のお話だが、死は誰しもに必然的に起こり得る。人は、命を持って生まれそして死へと収束していく過程から免れることができない。また、死とはとても身近な存在である。例えば、電車のホームに飛び降りれば恐らく死ぬし、高層ビルの屋上から飛び降りれば体なんか木っ端微塵だろう。つまり、我々は常に死という可能性を内在する存在とも言える。しかし、何気ない日常の中を生きる人間にとって、死とは自分たちにとっては縁遠いものとしてしばしば錯覚される。「明日私は死ぬかもしれない」と常々考えながら生きている人の方が珍しいと思う。しかし、本来死とは我々と背中合わせに存在していることに気づいた時、永遠にも思えた何気ない日常は、急速にその価値を帯びてくる。これをテーマに作られた作品が、同じ片岡とも氏による「ラムネ」の七海ルートであると私は思っている。この作品を通じて、身近に潜む死に目を向け、何気ない日常の徒然事にも価値を見出していくことの大切さを教わった。このナルキッソスにおいて、セツミと主人公は既に死を宣告されている。誰もに必然的に訪れる死、いずれは誰もが考える死であるが、この二人はそれが少し早かった。そして残されている時間も少なかった。この一度きりの人生ゲーム、どう生きどう終えるのか。そんなテーマで書かれた作品だと勝手に解釈している。

■物語の美しさ

現代、暗い、主人公とヒロイン、どっちも死にます。  ストーリー紹介より

 このように、救いのない悲しい物語のはずだが、同時にどこか美しさもあるのがこの作品の特徴だと思っている。何故美しいと感じるのだろうか。それは、諸行無常の考え方が我々の根底にあるからではないかと考えている。儚いものに対し、「あはれ」と感じる和の心がこの作品を美したらしめているのかもしれない。言わば、「終わりの美」である。有限だからこそ、終わりが近いからこそ美しいと感じるのだ。ラストのシーンは、特に記憶に深く刻まれた。エメラルドグリーンの海を背に、憧れであった水着を着て、楽しそうに儚げに笑う少女。タオルを晒のように胸に巻いただけのビキニが、相乗効果で場をより一層儚げに美しく映しているように感じる。花はいずれ枯れるからこそ、次に咲いた時に美しいと感じることができるのだと思う。

■セツミは何故自殺したのか

 これについては色々な考察が飛び交ってそうだし、自分もこれといって自身のある答えを出せたわけではない。でもなんとなく、セツミは目的を終えることができたから命を断ったのではいかと考えている。この目的とは、自分が生きていた証しを残すこと。主人公に託すことである。

本当は、ビキニの水着が好きで、ナビ以上に道に詳しくて、車が好きで、免許だって持っている。いつもは無表情で、滅多に向けてくれないけれど、たまには、照れくさそうな、すねたような顔だってしてくれる…(中略)

…残せた俺達の証し…

 無味乾燥な上辺だけの情報ではなく、本当の彼女。エメラルドグリーンの海でビキニを着ることを夢見る少女は確かに生きていたこと。最後の会話では一瞬自殺を逡巡しているようにも見えるが、それでも、自らの足で進んでいく少女の後ろ姿はどういう思いで見守れば良いのか。でも不思議と重苦しくはなく、むしろさっぱりとしている。そんな締めくくりで、彼らの長い旅は終わる。

■まとめ的な

 ぐだぐだと思ったことを書き連ねていきましたが、なんか結局何が言いたいのかが良くわからないかと思います。自分でもよく分かりません。なので、落ち着いたら改めて感想なんかを書くかもしれません。とりあえず2もやって、そうしたら改めて1をやってみたいと思っています。今度はボイス無しで。